インドの大規模停電
7月30日~31日にかけて、かけて大規模停電が発生した。
これは、1980年代に国家電力網の組織化計画が着手されて以来、初の大規模停電となった。この国家電力網組織化計画により、この国家電力網組織化計画というのは、地域ごとの電力網を統合一元化し、電力の効率的な配分を可能にしようというものであり、2014年までに南部地域を除く各地域の電力網が相互接続されることになる。
しかしながら、電力網の統合一元化は、一部の電力網の不具合により全体がダウンしてしまうというリスクも抱えている。
今回の大規模停電は、当初、需要と供給のバランスが崩れたものであり、いくつかの州が電力を使用し過ぎたためと言われていたが、主因は電力網の総合一元化によるリスクが露呈してしまったとみることができる。
ことの始まりは、この電力網の幹となる電力大動脈の西部地区において送電の一部が、修理と改修工事のために停止されたことにある。しかしながら、この2つのラインは西部と北部との間の電力網の構成に重要な役割を果たしていた。
この2つのラインが不通となったため、他の送電ラインに大量の電力がバイパスされて流れた。7月29日までにバイパスされて流れた電力は1,000メガワットというとてつもない量である。同日午後3時には、このラインがパンク寸前という状態になった。翌7月30日の午前2時33分から35分の2分間に、ビハール州のバリア、及びウッタルプラデシュ州北部のゴラクプールとラクナウ間の主要なラインもパンク寸前となり閉鎖された。同様にウッタルプラデシュ州とビハール州の各ラインも閉鎖された。その他のラインも次々と閉鎖された。
これらのラインの閉鎖に起因する電力の激しい変動からシステムを保護するためのサーキットが働き、各発電所も自動的に発電を停止した。2時33分から35分という短い間に、次々と送電が停止され、 インド北部の広大な地域が停電となった。いわゆるドミノ現象という状態に陥り、1つの原因が次々と他に波及して行ったわけである。個々の現象はさほど深刻なものではなかったが、これが連鎖してシステム全体の機能を麻痺させ大規模な停電となった。7月31日に起きた2度目の停電も、この連鎖とみることができる。
インドが急速な経済発展を続けており、これに電力の供給が追いついていないのは紛れも無い事実であるが、今回の2日間に及ぶ大規模停電は、電力網の統合化による欠点が露呈したものであり、原理的には5千万人が停電の被害を受けた2003年の北アメリカにおける大停電と同じである。
統合化された電力網においては、どこでも発生する可能性のある事象であり、先進国における電力網システムにおいても起こり得るものであるが、今後の電力網統合化を進めて行く上で大きな教訓を残したことは間違いなく、この教訓を今後の電力網統合化に活かして行けるか否かがインドにおける電力網統合化成否の分かれ道になるであろう。